よこすか発 釜石お訪ね隊 「サロンよこすか」に参加して


釜石市内の仮設住宅に隣接した昭和園クラブハウスでサロンを開きました。ここは周りに商店や住宅街がたくさんある町中でした。

夕べまでの雨で駐車場は少しぬれていましたたが陽が上がるにつれて乾き、晴天で風も無いので外は暑いくらいでした。

大きなテント2張り。一つは入り口で大学生たちがニーズを聞く受け付けに。もう一つはクラブハウスの入り口に建て、卵・走水の水・作業所が作ったクッキー・釜石からのアーモンドなど、配っりました。中古のエプロンやかっぽう着も喜ばれました。

調理班がザルいっぱいのネギを刻んで、絶品の卵スープを作り、全員に喜ばれていました。手づくりの温かい、おいしいものが何より喜ばれると思いました。

大きなブルーシートを4枚も広げ、衣類を並べたましが横須賀から運んだ物はあっというまになくなり、釜石のボラセンからトラック満杯の衣類が届けられました。好みの物を選んで持って行って頂くことができました。海外からの支援の物は大きすぎて選んでいただけませんでした。衣類はサイズや好みがあり、卵や水のように一律に分けられないため、欲しい物を届ける難しさを感じました。

ボラセンから依頼されて参加した傾聴の会の方達は、喫茶を担当しお茶を運んでじっくりお話を聞くことができたようです。また、布おもちゃの会の方たちは三十畳ほどの和室に布おもちゃを広げ、子どもたちに遊んでもらっていました。持参したたくさんの車のぬいぐみがかわいらしくておみやげに差し上げていました。こうして手応えがあり、充実感を得られているようでした。子どもがたくさん来てくれて良かったです。私はじっくりお話できませんでしたが、衣類や卵を差し上げた方が「遠くからありがとうございます。気を付けて帰ってくださいね。」と言ってくださりうれしかったです。

翌日、釜石のボラセンの所長さんの案内で海岸線の視察をしました。海からかなり遠いところまで一面、家の土台しか残っていない惨状でした。車内では町長さんが撮っていたビデオを見ながらお話を伺いました。第1波で堤防があふれ、大きかった第2波が引くときにすべてが持って行かれたそうです。15分ですべての財産や多くの人命を失ったのです。大槌町では火災も起き、遺体は性別も解らないため、いまだに行方不明者扱いなのだそうです。

そこから少し高台になった所に仮設住宅がありました。周りには商店も普通の家もなく、どこにどのようにして買い物に行くのだろうと思いました。本来、こういう場所での支援が重要だと思うが、そこにはサロンを開けるような場所もなく、ボランティアを企画することの難しさがみえました。釜石の所長さんのお話では、これからは家族も財産も失って一人でこもってしまっている人を外に連れ出す今回のような心のケアにボランティアの形が変わっていくということでした。そして、海岸寄りに持っている土地には家が建てられない。仮説の入居は2年。何もできないまますでに8か月が経ってしまったのに、あと1年4か月で何が出来るのかと、政府に対して怒っていらっしゃいました。1日も早い復興を願わずにはいられませんでした。

副隊長が「ボランティアを楽しんでください」とおっしゃった意味がよくつかめませんでしたが、5便までと違って、温泉付きの宿で、紅葉の美しい露天風呂まで入れて申し訳ないほど良かった、良かったの体験でした。ありがとうございました。(すずきとし子)